【県内美術館・記念館めぐり】 行ってみんね、来てみんね~(59)

シーボルトの高弟が開いた薬草園

旧島原藩薬園跡

島原市教育委員会社会教育課 吉田信也

 1842年(天保13年)、島原藩主・松平忠誠は、長崎で西洋医学を広めたシーボルトの高弟であった、賀来佐之を医師として招き、翌年藩の医学校(済衆館)の薬園に薬草を栽培させました。しかし、済衆館の薬園は手狭な上に薬草の栽培には条件が良くなかったため、1846年(弘化3年)、眉山の麓、焼野の地に薬園を開墾させました。これが現在の旧島原藩薬園跡です。
 薬園は1869年(明治2年)に廃止されます。経営期間はわずか16年でした。その後、所有者は島原村、民間と移り変わっていきます。
 1929年(昭和4年)、国の史跡に指定されます。国指定の薬園の史跡は、島原の他には森野旧薬園(奈良県)と佐多旧薬園(鹿児島)の、合わせて3件しかなく、大変貴重な史跡です。
 薬園跡の最上部に位置する場所に、薬師弁財天祠、薬園方詰所跡、倉庫跡を含む約900㎡の広さの屋敷跡が残されています。1974年(昭和49年)から発掘調査が行われ、復元整備されました。
 現在は市によって運営され、薬用植物の植栽や薬用料理教室など、様々な催し物が行われ、広く市民に親しまれています。
 入場無料ですので、園内の散策や植物観賞など、お気軽にお越し下さい。
 詳しくは、旧島原藩薬園跡HP(http://www.city.shimabara.lg.jp/page936.html)をご覧ください。